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私たちについて

私たちについて

UTUWAの理念

『子どもたちが幸せな人生を生きること。』

それがUTUWAのたった1つの願いです。ここで重要なのは、幸せとは何かを定義するのは親や先生ではなく、子どもたち自身だということです。
ところが、ほとんどの子どもたちは、誰か何かに依存し、従うことに慣れきって、自分の生き方どころか、1日の計画さえ自分で決められません。その一方で、世界は多様性を増し、私たち一人ひとりに生き方の自己決定を要求します。

したがって、子どもたちが主体性を取り戻すこと、そして自らの選択や行動に責任を負うこと、つまり、子どもたちが「人生の主人公は自分自身だ」と自覚を持つことが、幸せに生きるための第一歩として何よりも重要だと今の私たち(※)は考えます。
自らの生に責任を持ち主体性を取り戻した子どもたち、彼(女)らの学力、成績が向上するのは当然でしょう。言われた通りに言われたことをこなす勉強と、自らの目的を果たすための能動的な学び。どちらが実りある成果を得るかは容易に想像できるはずです。
したがって、目先の学力を高めるためにも、子どもたちが幸せに生きるためにも、子どもたちは自らの主体性を取り戻すべきなのです。

ただし、一方的に教わることや敷かれたレールを歩くことに慣れきった子どもたちが主体的に学び始めるためには、それなりのトレーニングが必要です。
もしかすると、最初は小さな目標すら決められないかもしれません。でも、それでいいのです。
自転車に乗る練習をした日々を思い出してください。最初は誰かに補助してもらわないとバランスを保てませんでした。しかし、何度も転ぶうちに次第に援助が不要になり、自走できるようになったのです。
それと同じように、みなさんが主体的な学びを会得するまで、私たちがその都度適切な関与度で、全力でサポートします。

自らの人生の主人公として、どうか幸せになってください。

Since 2018.3.21

UTUWAを創った理由

UTUWAが従来の集団・個別塾のカタチを取らず、子どもたちの自学を中心に据えたのは、「そっちの方が成績が伸ばせるから」という単純な理由ではありません。
正直に言えば、僕は子どもたちの「成績を上げる」ことにも「志望校に合格させる」ことにもあまり興味がありません。僕が何よりも大事にしたいのは、ほとんどの親御さんと同じく、子どもたちが「大人になってからも、幸せに生きる」ための力を、勉強や受験を通して身につけてもらうこと。そしてそれを実現するためには、どうしても従来の一般的な「授業」をなくす必要がありました。なぜなら、「授業」こそが、子どもたちの幸せを奪う元凶だからです。
僕がそれを痛感したきっかけは5年前の3月21日、奇しくもUTUWAの創立と同じ日に起こった出来事でした。

彼女が大学を辞めた理由

彼女が大学を辞めたのは、雲一つない快晴の日でした。その知らせを聞いたとき、僕は耳を疑いました。
どうしても志望校に、と浪人を決意した彼女は、とにかく素直で頑張り屋さんで…僕らのアドバイスに素直に耳を傾け、朝から晩まで必死に勉強しました。帰宅する時間があまりに遅くて、こちらが強制的に勉強するその手を止めさせるほど。1年後、周りの予想(E判定だったから当然でしょう)を裏切って、彼女は志望校に合格。涙で顔をクシャクシャにしながら、僕らに「ありがとう、ありがとう…」そう言って何度も何度もお辞儀をしていた…そんな彼女が大学を辞めるなんて…あれだけ頑張って入った志望校なのに。ぼくはにわかに信じることができず急いで彼女に連絡を取り、会って話をすることにしました。
暗くなり始めた面談室で、彼女が口にした一言を、僕はいまだに忘れられません。
「先生…、わたし…、なんのために大学に入ったんだろう。
…わたしはこれから、いったい誰のために頑張ればいいのかな…。」
親の期待、周りの期待に応えたい。その一心で彼女は勉強してきたのでしょう。また、その素直さゆえ、先生の言われたことを言われた通りにやってきたのでした。その結果、彼女は自分の頭で考えることができず、自分ではない「誰か」の人生を生きるようになってしまった。彼女に極端な依存心を生み出したのは、我々なのでは…それに気づいた僕は、彼女になんの言葉もかけることができませんでした。

親の常識は子の非常識、「依存」が生む悲劇

何もこれは、彼女だけに限った話ではありません。今の社会を生きる多くの子どもたち(だけでなく大人たちも)が、誰かに言われたからとか、周りがやってるからとかという受動的な理由でなんとなく勉強し、なんとなく大学に行き、なんとなく就職する…。そしてあるとき、何かの拍子にふと、「これが私の望んでいた人生なのか」「いったい何のために生きているのか」という虚しさに襲われることになるのではないでしょうか。 確かに、ひと昔前なら、「自分」を持たずとも、周りにならって「とりあえず大学に入っておけ」「とりあえず就職しておけ」でよかったのかもしれません。だから多くの親が、自分が言われてきたように、自分の子どもにも「将来のために大学に行きなさい」と言うのでしょう。しかし、今や時代は変わり、大学に行くことが以前ほど価値を持たなくなりつつあります。 「学歴」や「年功」よりも個人の能力によって評価される実力主義の社会。科学技術の飛躍的な進歩によって作られる、今とはまったく異なる社会。多様化が進み、職業も生き方すらも自由に選択できる社会―。子どもたちを待つのは、そんな今までの考えや常識が通用しない、先行きの見えない未来なのです。我々大人が、いったい何を偉そうに語れるというのでしょうか。 だからこそ、子どもたちが絶対に自覚しておかなければならないことがあります。それは、「人生という『物語』の主人公は他ならぬ自分であり、その『物語』の作者もまた自分である」ということ。平たく言えば、「自分で考え、自分の意思で行動し、そのすべての責任を自分が負う、そして自分が心からやりたいことを見つけ、それを実現しようとする」姿勢です。先行きの見えない未来だからこそ、思考を停止させて目の前の人についていくだけの依存状態を抜け出し、自ら考え、自らの人生を生きることが何よりも大事になります。

子どもがスマホに取り憑かれる本当の理由

時間があれば、スマホでゲームやYouTubeばかり見ている子どもたち。かといって、それらに心から熱中しているようにも見えません。勉強もせず、ダラダラと無為に過ごすそんな我が子に、辛辣な言葉を浴びせたくなるのも無理はないのかもしれません。しかし、悪いのは本当に子どもたちでしょうか。 私はそうは思いません。むしろ周りの我々大人こそが、子どもたちの主体性を奪っているのではないでしょうか。 忙しさにかこつけて、彼(女)たちの「なぜ?」に向き合わない。子どもたちの個性を消す画一的な教育を施す。「言われた通りにとにかくやりなさい」と課題を押し付ける。自分からの主体的な言動が否定され、何もかもを一方的に与えられる。そんな環境に身を置いた子どもたちから、好奇心や主体性が奪われて当然です。 彼らはスマホに依存したいのではなくて、他に「依存」(熱中)できる対象がないだけです。夢中になることのできる何かは、自分自身にしか分かりませんから、色んなものに自らトライして見つけるしかない。しかし、もはや子どもたちは自分から主体的に動く力さえ失っているのです。 自分ではもうどうにもできないほど、周りから与えられることに慣れきった彼(女)たちが、快楽を「与え続けてくれる」スマホに依存するのも、当然でしょう。 そう、子どもたちは被害者なのです。そして、その依存心を生み出す最悪の加害者こそが「授業」なのです。

「授業」こそが子どもに「依存」をもたらす

集団であれ個別であれ、従来の一般的な「授業」は「制限時間内に知識を与える」という構造上、どうしても子どもたちに受動的な姿勢や依存心を根付かせてしまいます。 一般的な集団授業では、限られた時間のなかでカリキュラム通りに進める必要があるので、授業中は先生からの一方的な説明に終始します。また、集団のクラスにはそもそもカリキュラムが1つしかないので、進度や説明、勉強法は必ず子どもたちの「誰かには合わない」(本当のところは「誰にも合わない」)。身の丈に合わないものを一方的に与えられ、よく分からないまま指示通り動くことを要求されるような状況では、子どもたちが受身になって思考停止するのも当然です。 一般的な個別指導もまた、集団とは違う形で依存を生み出してしまいます。個別の先生の仕事は「限られた時間のなかで1つでも多く質問に答える」こと。だから、子どもたちが一言「分からない」と言えば、先生は手取り足取り、1から10まで教えてくれます。子どもたちは、分からない問題を先生に見せればすべて解決してくれるので、自分の頭で考える必要がありません。確かに、自分で考えるよりもはるかにラクだし早い。しかし、それに慣れてしまった子どもは、自分だけでは何一つ考えることができず、ずっと誰かに依存しないと生きられないことになってしまいます。

目指すのは目先の合格・成績アップだけでいいのか?

確かに従来の一般的な集団・個別でも成績は伸ばせます。実際、僕は集団でも個別でも子どもたちの成績は伸びたし、東大や京大、早慶などの難関大にもたくさん合格しました。 しかし、「合格後」を、つまり子どもたちの将来のことを考えれば、子どもたちの依存を生み出し、思考力を奪ってしまう「授業」を続けるわけにはいかない。だからぼくは、「授業」をなくして、子どもたちが自分で学ぶことを中心に置きました。(UTUWAでも個別に指導したり、みんなで一緒に学んだりしますが、あくまでも主体は子どもたちです。)そして、子どもたちが自分で考え、能動的に学び、目的意識を持って質問し、自らの力で目標達成していく…その経験を、中高生のうちに何度も積んでほしいと思っています。 それに自分の意思で能動的な勉強をする子どもは、成績が「伸び続ける」。ポイントは、「一時的な伸び」ではないところです。責任感を持って自分の力で取り組んでいるのだから、伸び続けるのは当たり前でしょう。(集団や個別では、一時的に成績がグンと伸びることがよくあるが、それは生徒自ら以外の力が働いているので、僕はそれを「ドーピング」と呼んでいます。) 「合格できたのは、先生のおかげです」。よく言ってもらったけれど、それは僕たちの本望ではありません。僕は「自分が頑張ったから、合格できました」と胸を張って言える子どもたちを育てたいのです。

脱「依存」への訓練

とは言え、最初から「自分で勉強しろ」「自分で考えろ」と言ったところで、子どもたちが自分で考え学べるわけがありません。だから僕らは、最初は特に、これでもかというくらい丁寧に教えるし、アドバイスもします。質問にもいくらでも答えるし、こちら主導で計画も立てる。でも、徐々に、僕らは子どもたちへの対応のしかたを変えていきます。 質問に来た子には、無条件で教えることをせずに「何が分からないか」を明確にして、「自分なりの仮説(解答)」を立ててから質問してもらう。勉強法をアドバイスするときには、「自分だったらどうするか」をまず先に子どもたちに考えてもらう。親や先生に言われた目標ではなく、自分が本当に実現したい目標を立てる。計画通り進まなかったときには、必ず原因と対策を考えて報告してもらう。自分や周りとの約束を何度も破ってしまうようなら厳しく叱る…。そうやって少しずつ少しずつ、子どもたちが自分で考えられるように、僕らは毎日子どもたちと接しています。 誰もが自らの幸せを実現する世界を夢見て 僕がわざわざこの話を表立って書かないのは、この想いに共感してくれる人が少ないからです。どうしても目先の成績を上げることばかり考えてしまっているから、「自分で考える力を身につけます」と訴えたところで、多くの人は見向きもしてくれません(そちらのほうが成績が上がるのに、です)。でも、それは決して親や子どもたちが悪いのではなく、そういう考え方にさせてしまう社会に原因があるのです。 僕はそんな世の中を変えたいと思っています。みんなが周りに流されることなく、自分の考えをしっかりと持って生きる。自分に自信を持ち、自分の能力を最大限に発揮できる。自分の本当にやりたいことを見つけ、それを実現する…。みんながそんな風に生きられる幸せな社会にしたい。 その最初の一歩が、UTUWAです。今はまだ数少ない賛同者とともに、まずは僕らが、理想の生き方を体現したい。その輪が少しずつ少しずつ広がって、いつか世の中を変えられる日を夢見て。

講師紹介

小石亮太朗

小石からの一言「One for one, All for one」

小石亮太朗

数学・物理担当

僕は今楽しいです。楽しい仲間達と生徒に囲まれ、趣味にも打ち込めています。「環境に恵まれたから」というのも事実ですが、ここにいるのは僕自身の“選択による結果”です。あくまで自分で選んだ結果だからいいものにすることが出来た、と僕は思います。
人生には選択を迫られる場面が多々あり、他者のことを考え決断に悩む人もいます。でも僕は、自分自身で、自分のことだけを考えて選択するのが一番最善だと思います。そうすることで、後悔や言い訳も生まれにくいし、自分の選択をより良い結果にするために努力することができると思うからです。
とはいっても、自分本位になることの難しさを感じている人はたくさんいると思うので、「そんな人は僕たち『皆』で助ける」。僕はUTUWAがそんな空間になればと思っています。

「君らしくいよう。君らしいことを誰も間違いだなんて言えないのさ。」 スヌーピー

長坂雄大

長坂からの一言「つながりの尊さに気づける場所にしたい」

長坂雄大

英語・社会担当

8年前、僕も受験生だった。友達に誘われて行った学習塾。そこで出会った先生。あの時友達が誘ってくれなければ…出会ったのが安部先生じゃなければ…今の自分はどうなっていただろう。
人生を振り返ると、自分は、決して一人では生きていないことを実感する。親や友達はもちろんだけど、毎日食べていたお米を作る農家さんや、通学路を巡回してくれたボランティアのおっちゃん…そうした日々の小さな出逢いや無数の出来事が複雑に絡み合って、今の自分に繋がっている。そして同じように、自分の小さな行動も、きっと何処かにいる誰かの今に繋がっている。
こんな風に、時間や場所を超える「つながり」の尊さに気づけたら、人の心はもっと穏やかで優しいものになれるのではないだろうか。僕はUTUWAを、そんな「仲間」が集まる場所にしていきたいと思っている。

松本航汰

松本からの一言「捉え方をアップデートできる場でありたい」

松本航汰

数学担当

「意志」は、好きな自分になるためのキーワードだと私は考えます。何かを成し遂げようとする心を持つことで、成長し、それが自信へと繋がる。そして、自分に自信があれば、自然と自分のことが好きになる。
では、どうすれば意志を持てるようになるのか。完璧な答えは私にも分かりませんが、1つのアプローチとして、「今」に集中し、やりたいことを明確にすることが大切だと思います。その目標に向かって一歩を踏み出す瞬間に、意志は自然と芽生えているのではないでしょうか。
努力している最中は成長を実感しにくいかもしれませんが、後で必ず成長を実感できます。バガボンドから言葉を借りれば「海を泳いでる最中には、海の広さはわからんよ」。私はUTUWAを、「生徒一人ひとりが一歩踏み出すための場所」にしていきたいです。

酒寄満里奈

満里奈からの一言「子どもたちの心をサポートしたい」

酒寄満里奈

英語担当

10代の子どもたちに訪れる思春期。「アイデンティティ(自己)の確立」が行われるこの時期に、子どもたちはたくさんのイベントと向き合います。中には、受験や進学、それに付随する人間関係など、ストレスを伴うものは多々あり、「自分が何者であるのか」を定義していく大切な過程中に、孤独を感じたり自信を喪失する子どもたちは少なくありません。
「子どもたちが必要以上に自己否定することも、不安に駆られることもなく、健全な状態で自己の確立ができるようにサポートしたい。」それが私の望みであり、そんな意志をもって私はこの仕事をしています。
親でも教師でもない曖昧なポジションだからこそ、伝えられることがある。そう信じて、日々生徒と向き合っています。

安部泰祐

安部からの一言「当たり前を疑うことを当たり前に」

安部泰祐

数学・化学担当

当たり前だと思っている常識も、よくよく考えてみると不思議に思うことってありますよね。
そうすることが当たり前とされてきたけれど、それって本当に自分にとって素晴らしいことなの?実は特定の誰かにとって都合の良いことだったりしない?
そうやって世の中の当たり前とされている常識やルールを疑い、納得あるいは批判しながらそれらと向き合う。そうすることで初めて、自分にとって本当に大切なものは何なのか、自分はどう在りたいのかが見えてくると、僕は思います。
大人の意見、周りの空気感に流されるのではなく、確固たる意思と責任をもって行動できるように、日々子どもたちの本心に問いかけ、議論を交わすことを心がけています。

岡本幸也

岡本からの一言「如何に生きるかを子どもたちから学びたい」

岡本幸也

国語・社会担当

何にでも興味を持って何度も質問する。素敵なものを素敵だと真っ直ぐ言う。目の前のことに一心不乱に向き合う。周りの目や常識に囚われて、日々の忙しさに託けて、つれづれな人生を散漫に生きる私自身にとって、子どもたちのそんな姿はまさにお手本です。
子どもの関心を知ろうとすること、年齢や立場、能力は違えど私たちは対等であること、決定権は常に子どもにあること、子どもはすでに最高の存在であること…。子どもたちと向き合うなかで大切にしたいそれらの姿勢は、そのまま世界との向き合い方なんだと思います。
自分自身がいかに生きるか、それを子どもたちから学びたい、だから私は教育に携わっているのかもしれません。

長澤裕哉

長澤からの一言「なりたい自分を見つけよう」

長澤裕哉

物理担当

進路選択や大学受験、就職活動。多くの人はそういった壁に直面して初めて、「自分」について考え始めます。僕もその1人でした。しかし、限られた時間の中で、一体どれだけの人が本当の答えに辿り着けるのでしょう。「自分」とはなんなのか。その答えは本来、長い時間をかけて向き合うべきものなのではないでしょうか。目の前のたくさんの出来事に翻弄され、自分を見つめる時間を忘れがちな学生たちに、自分自身と向き合う機会をつくりたい。そんな思いから僕はUTUWAで働くことを決めました。かつての僕と同じ悩みをもつ学生たちの助けになること、彼らが「なりたい自分」に向かって前進できること、その実現に向け精一杯努めていきたいと思います。