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僕らが「授業」をしない本当の理由


 UTUWAが従来の集団・個別塾のカタチを取らず、子どもたちの自学を中心に据えたのは、「『授業』をしない方が成績が伸ばせるから」という単純な理由だけじゃない。
 正直なことを言えば、僕は子どもたちの「成績を上げる」ことにも「志望校に合格させる」ことにも興味がない。僕が何よりも大事にしたいのは、勉強や受験を通して、子どもたちが「大人になってからも、幸せに生きる」ための力を身につけさせることだ。それを実現するためには、どうしても「授業」をなくす必要があった。なぜなら、「授業」こそが、子どもたちの幸せを奪う元凶だからだ。
 僕がそれを痛感したきっかけは5年前の3月21日。奇しくもUTUWAの新規開校と日を同じくして起こった出来事だった。


 彼女が大学を辞めたのは、風が強くも雲一つない快晴の日だった。その知らせを聞いたとき、僕は耳を疑った。
 どうしても志望校に、と浪人を決意した彼女は、とにかく素直で頑張り屋さんで…僕らのアドバイスに素直に耳を傾け、朝から晩まで必死に勉強した。帰宅する時間があまりに遅くて、こちらが強制的に勉強するその手を止めさせるほどだった。1年後、周りの予想(E判定だったから当然だろう)を裏切って、彼女は志望校に合格したのだった。涙で顔をクシャクシャにしながら、僕らにありがとう、ありがとう…そう言って何度も何度もお辞儀をする…そんな彼女が大学を辞めるなんて…あれだけ頑張って入った志望校なのに。ぼくはにわかに信じることができず急いで彼女に連絡を取り話をすることにした。
 暗がりが増しはじめた面談室で、彼女が口にした一言を、僕はいまだに忘れられない。「先生…、私…、なんのために大学に入ったんだろう。
 …わたしはこれから、いったい誰のために頑張ればいいのかな…。」
 親の期待、周りの期待に応えたい。その一心で彼女は勉強してきたのだろう。また、その素直さゆえ、先生の言われたことを言われた通りにやってきたのだ。その結果、彼女は自分で考えることができず、ましてや自分自身の人生のために生きる術を身につけていなかった。その機会を奪ったのは、他ならぬ僕だったのだ。それに気づいた僕は、彼女になんの言葉もかけることができなかった。


 何もこれは、彼女だけに限った話じゃない。今の社会を生きる多くの子どもたち(だけでなく大人たちも)が、誰かに言われたからとか、周りがやってるからとかという受動的な理由でなんとなく勉強し、なんとなく大学に行き、なんとなく就職する…。そしてあるとき、何かの拍子にふと、「これが私の望んでいた人生なのか」「いったい何のために生きているのか」という虚しさに襲われることになるのではないか。
 確かに、ひと昔前なら、「自分」を持たずとも、周りにならって「とりあえず大学に入っとけ」「とりあえず就職しとけ」でよかったのかもしれない。だから多くの親が、自分が言われてきたように、自分の子どもにも「将来のために大学に行きなさい」と言うのだろう。 しかし、今や時代は変わり、大学に行くことが以前ほど価値を持たなくなりつつある。「学歴」や「年功」よりも個人の能力によって評価される実力主義の社会。科学技術の飛躍的な進歩によって作られる、今とはまったく異なる社会。多様化が進み、職業も生き方すらも自由に選択できる社会―。子どもたちを待つのは、そんな今までの考えや常識が通用しない、先行きの見えない未来だ。


 未来がどんな様相を呈しているのか分からないから、教育者なのに、僕は子どもたちにこれからの社会の姿を教えることができない。でも、これからの社会を生きるために、子どもたちが絶対に自覚しておかなければならないことは分かる。それは、
「人生という『物語』の主人公は他ならぬ自分であり、その作者もまた自分である」
ということだ。平たく言えば、「自分で考え、自分の意思で行動し、そのすべての責任を自分が負う、そして自分が心からやりたいことを見つけ、それを実現しよう」とする姿勢だ。先行きの見えない未来だからこそ、思考を停止させて目の前の人についていくだけの依存状態を抜け出し、自ら考え、自らの人生を生きることが何よりも大事になる。
 勉強や受験を通して、子どもたちにこの姿勢を身につけてもらうこと。それこそが僕の使命であり、僕らがUTUWAを立ち上げた本当の理由なのだ。


 集団であれ個別であれ、「授業」は「制限時間内に知識を与える」という構造上、どうしても子どもたちに受動的な姿勢や依存心を根付かせてしまう。
 集団授業では、限られた時間のなかでカリキュラム通りに進める必要があるので、授業中は先生からの一方的な説明に終始する。また、集団のクラスにはそもそもカリキュラムが1つしかないので、進度や説明、勉強法は必ず子どもたちの「誰かには合わない」(本当のところは「誰にも合わない」)。身の丈に合わないものを一方的に与えられ、よく分からないまま指示通り動くことを要求されるような状況では、子どもたちが受身になって思考停止するのも当然だ。宿題をやらずに授業だけ受けて成績が上がると勘違いしている子や、「その問題はまだ授業でやってないからムリ」と自分で考えもせずハナから解くのを諦めてしまう子が多いのも、無理はない。
 個別指導もまた、集団とは違う形で依存を生み出してしまう。個別の先生の仕事は「限られた時間のなかで1つでも多く質問に答える」ことだ。だから、子どもたちが一言「分からない」と言えば、先生は手取り足取り、1から10まで教えてくれる。子どもたちは、分からない問題を先生に見せればすべて解決してくれるので、自分の頭で考える必要がない。確かに、自分で考えるよりもはるかにラクだし早い。しかし、それに慣れてしまった子どもは、自分だけでは何一つ考えることができず、ずっと誰かに依存して生きることになる。


 確かに集団・個別でも成績は伸ばせないことはない。実際、僕は集団でも個別でも子どもたちの成績を伸ばしてきたし、今、予備校での指導の合間にこれを書いているあいだにも、文系・E判定だった生徒が私立獣医学部に合格したと報告にきてくれた(もちろん、僕だけの力ではないが)。
 しかし、「合格後」を、つまり子どもたちの将来のことを考えれば、子どもたちの依存を生み出し、思考力を奪ってしまう「授業」を続けるわけにはいかない。だからぼくは、「授業」をなくして、子どもたちが自分で学ぶことを中心に置いた。そして、子どもたちが自分で考え、能動的に学び、目的意識を持って質問し、自らの力で目標達成していく…その経験を、中高生のうちに何度も積んでほしいと思っている。
 それに自分の意思で能動的な勉強をする子どもは、成績が「伸び続ける」。ポイントは、「一時的な伸び」ではないところだ。責任感を持って自分の力で取り組んでいるのだから、伸び続けるのは当たり前だろう。(集団や個別では、一時的に成績がグンと伸びることがよくあるが、それは生徒自ら以外の力が働いているので、僕はそれを「ドーピング」と呼んでいる。)
 「合格できたのは、先生のおかげです」。よく言ってもらえるけれど、それはぼくの本望じゃない。僕は「自分が頑張ったから、合格できました」と胸を張って言える子どもたちを育てたいのだ。


 とは言え、最初から「自分で勉強しろ」「自分で考えろ」と言ったところで、子どもたちができるようになるわけがないのもよく分かっている。だから僕らは、最初は特に、これでもかというくらい丁寧に教えるし、アドバイスもする。質問にもいくらでも答えるし、こちら主導で計画も立てる。でも、徐々に、僕らは子どもたちへの対応のしかたを変えていく。
 質問に来た子には、無条件で教えることをせずに「何が分からないか」を明確にしてから質問させる。勉強法をアドバイスするときには、「自分だったらどうするか」を先に考えてもらう。動画を見て疑問を解決する前に、まずは「自分なりの仮説(解答)」を立てさせる。計画通り進まなかったときには、必ず原因と対策を考えて報告してもらう。自分や周りとの約束を何度も破ってしまうようなら厳しく叱る…。そうやって少しずつ少しずつ、子どもたちが自分で考えられるように、僕らは毎日子どもたちと接していくつもりだ。


 僕がわざわざ、「『授業』をしない本当の理由」を表立って書かなかったのは、この想いに共感してくれる人が少ないからだ。どうしても目先の成績を上げることばかり考えてしまっているから、「自分で考える力を身につけます」と訴えたところで、多くの人は見向きもしてくれないだろう(そちらのほうが成績が上がるのに、だ)。でも、それは決して親や子どもたちが悪いのではなく、そういう考え方にさせてしまう社会に原因があるのだろう。
 僕はそんな世の中を変えたいと思っている。みんなが周りに流されることなく、自分の考えをしっかりと持って生きる。自分に自信を持ち、自分の能力を最大限に発揮できる。自分の本当にやりたいことを見つけ、それを実現する…。みんながそんな風に生きられる幸せな社会にしたい。
 その最初の一歩が、UTUWAだ。今はまだ数少ない賛同者とともに、まずは僕らが、理想の生き方を体現したい。その輪が少しずつ少しずつ広がって、いつか世の中を変えられる日を夢見て。

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