岡本ブログ

きみが答案に折り目をつける理由

 

返却されたテスト。

きみはすぐ、答案の右上に折り目をつける。

でも、なんでそんなことするんだろう?

もちろん、自分の点数を誰かに盗み見られないようにするためだろう。

折り曲げておけば、点数が書かれたところがうまい具合に隠れるもんね。

 

じゃあ、なんで自分の点数を誰かに見られると困るんだろう?

きみだけじゃない。

教室を見渡すと、クラスメイトの多くが同じように答案を折り曲げている。

別に先生にそうしなさいって言われたわけでもないのに。

 

岡本が思うに、

きみや多くの子たちがなかば無意識にやっているこの行為にこそ、

学校教育の問題点が隠れているんじゃないだろうか。

 

 

そもそもテストの点数って、何を表すんだろう?

テストの種類によっても違うけど、そのほとんどが、

「ある時点で、学んだ範囲の内容を、どれだけ理解しているか」を評価しようとしたものだ。

(評価『しようと』した、って書いてるのは、大抵のテストではどれだけ暗記したかの評価でしかないからだ。)

テストはそれ以上でもそれ以下でもないはず。

したがって、テスト順位も、

「ある時点における、学んだ範囲の内容の理解度」を順位付けしようとしたものにすぎない。

それなのにどうして、そのテストだけで、

まるできみの人間的な価値が決められたかのように感じてしまうんだろう。

 

まさにそれが、「点数至上主義」だ。

点数がいい、だから人として優秀。

学歴が高い、だから人としての価値が高い。

逆に、点数が悪い、だから人として劣っている。

学歴が低い、だから人としての価値がない。

 

なにも極端に言ってるわけじゃない。

この「点数至上主義」にとらわれているからこそ、

テストの点数にひどく落ち込まされたり、自分を否定されたりする。

だからきみは答案に折り目をつけてしまうんじゃないか。

あるいはまた、高い学歴や輝かしい実績を持った人の前では

気後れしてうまく話せなかったり自信を失ったりするのも

知らず知らず「点数」で自分の価値より「上か下か」判断しているからじゃないか。

…いずれにせよ、自分の「価値の低さ」を周囲に悟られまいとするために。

 

 

そもそも人は、この世に存在している時点で、誰しもが絶対的な価値を持っている。

何かに秀でているから、何かを持っているから、何かをしたから価値があるのではなく、

何もしないでも、きみは生まれた時点で尊い価値を持っているんだ。

そんな当たり前で大切なことを、なぜ忘れてしまったのか。

その原因の一端が、学校教育にあることは間違いないだろう。

 

遺伝子も、生まれた環境も、育った境遇も。

何もかもが違うそんな個性あふれる子どもたちを、

学校では点数(や先生の主観的評価)という評価軸だけで判断する(ことしかできない)。

人は誰しも、誰かに褒められたり認めてもらうことを願う生き物だ。

承認欲求を持った子どもたちは得てして、1つの土俵に上がることになる、

他者から評価されたい、その一心で。

ところがその土俵が得意な子もいれば、当然不得手な子どももいる。

だから勝ち続ける者もいれば、負け続ける者もいるだろう。

それでもなお、「競争」は、同じかたちで繰り返される。

別の土俵が用意されることは、まずない。

何度も繰り返される「競争」のうちに、いつしかそれが「人生」なのだと錯覚する。

この「競争」に勝ち続けることこそが、この世に生きる価値を生むのだ、

そして、この「競争」に負け続ける人間に、この世を生きる資格などない、と。

 

 

だからといって、諸悪の根源が学校にあるとか、学校のテストになど価値はないとか、

岡本はなにも、そんなことを言いたいんじゃない。

一人ひとりの個性に合わせたきめ細やかな教育は(これからもしばらくは)難しいだろうし、

教壇に立つ先生たちも、きみと同じように限られた評価軸で判断されてきた「被害者」なのだから、

そのような価値基準に縛られていても仕方がないのかもしれない。

それに、テストで優秀な成績を収めた人や高い学歴を持った人たちが中心となって、

今の社会を動かしているのかもしれない。

きみがやりたいことを実現するためには、「競争」を避けられないこともあるだろう。

 

 

岡本がきみに、ここでいまいちど強く伝えたいのは、

「きみにはもうすでに何ものにも替えがたい価値がある」ってことだ。

その価値は、テストや他者からの評価によって決められるものじゃない。

どんな点数をつけられようが、周りから何を言われようが。

きみの絶対的な価値は揺らがない。

きみがとったテストの点数と、きみの価値はまったくの別物なのだ。

 

テストの点数にこだわりたいならこだわればいい。

ただし、いま話した大前提を決して忘れないこと。

そして、結果が出なくても落ち込む必要なんてない。

なぜなら、

きみが競う相手は、遺伝子も、生まれた環境も、育った境遇も。

きみとは何もかもが違う、本来比較できない対象だから。

なぜならまた、

ダメなのはきみ自身ではなく、きみの「やり方」なのだから。

 

それらのことを理解したうえで、

いまのきみができることを、最大限すればいい。

きみ自身の価値を実感しながら、自らの成長に集中しよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です