岡本ブログ

子は「分身」でいて「他人」でもある

わが子は親である自身の“分身”でもあり、“他人”でもある―。

その二面性で捉えることができれば、

ぎくしゃくしがちな親子関係が少しはマシになるのかもしれない。

 

 

 

 

子は“分身”だ。

あなたと同じ遺伝子を半分持つという意味でも、

あなたと同じ価値観や思考回路、習慣などを引き継ぐという意味においても。

 

「ベンキョウシロ」「ホンヲヨメ」「シュウチュウシロ」「ダラシナイ」

「シッカリシナサイ」「ヤルキアンノカ」「デキガワルイ」…。

 

勉強をしないのは、あるいは、本を読まないのは。

本当に子どもだけのせいだろうか?

 

 

子どもに向けられた言葉は、

そのままあなたに向ける言葉でもある。

 

 

 

 

子は“他人”でもある。

あなたが敷いたレールから脱線しようとするのも、

あなたのコトバを理解しないのも、他人だから仕方がない。

 

「ソンナクダラナイコトヲカンガエルナ」

「アナタノショウライヲオモッテイッテルノ」

 

将来のレールをひくのは、真っ向から否定するのは。

本当に子どものためだろうか?

 

 

子どものためにと向けられた言葉は、

得てしてあなたのための言葉でもある。

 

 

 

 

何かができるからでもない。

何かに秀でているからでもない。

何か才能を持っているからでもない。

 

何も持たずとも、誰かより劣っていようとも。

“分身”であろうが“他人”であろうが。

ただそこに存在してくれているだけで、

何ものにも代えられない絶対的な価値を持つ。

 

 

そう、子はなによりも、最愛の「わが子」なのだ。

 

今のままでも十分、ありのままのわが子を。

まるごと愛せるあなたであってほしい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です