講師紹介 安部泰祐

 


座右の銘

基本、何とかする。


自分が神がかっていると思った瞬間

バスケ部最後の大会(高3)で、大会中13本連続で決めていたフリースローの最後の1本を外して引退を決めた。

※残り0秒、2点差の状況で2本目のフリースローを外し1点差で負けました。


自画自賛してください

え?高3の夏前の模試で化学の偏差値40だったのに、10月の模試で70超えって本当ですか?


子供の頃の夢

1.飛行機になること。(安部の幼少期その1を参照)

2.野生児になること。(安部の幼少期その2を参照)


必殺技

夜寝て、朝起きる。


将来の野望

1.空を飛ぶ。

2.畑を耕し、狩りをするという自給自足の生活を送る。


最高の失敗

中学生の頃、夜の公園で月眺めてたらかっこよくね?って思って眺めてたら補導されかけた。


これまでの人生を振り返ると

東京都北区赤羽にて誕生。

いつも焦点が合わず、何か見えないものが見えてるのかと思いきや、ただの斜視であることが発覚する。

幼少期は天使のようにかわいく、そして我慢強い子だった。

2歳のある日、ガラスの人形に手を突っ込み、骨まで見えるほど右手小指を切った…

急いで病院に搬送されるも麻酔をする時間もなく縫合することに。

「暴れるからしっかり押さえといて!!!」

という医師の指示のもと、看護師の方々や母が幼き僕を抑え込むものの、当の本人は、

「がまんがまん!」

と言って涙も流さずに耐えきった。

その後、転勤族の父と一緒に大阪、神奈川などを転々とし、小学校入学と同時に温泉で有名な大分県別府市に移り住む。

大分にいた3年間は毎日殴り合いの喧嘩に明け暮れ、ガキ大将として君臨。

東京への転校を機にいい子になろうと決意するも、転校2日目にして前に座っている奴をぶん殴り、人はそう簡単には変われないんだなーと実感する。

中学受験を経て中高一貫男子校に進学し、淡い青春とは程遠い、非常に汗臭い青春を過ごす。

「俺はバスケを教えてるんじゃない、漢を教えてるんだ。」でお馴染みのバスケ部の顧問(通称、ボス)の元で部長として漢(理不尽に耐えきる精神力)を教わった。

高3になると熱血過ぎる塾に入り、年末年始は5日間風呂に入らず勉強し続ける鬼の合宿を経験。1日18時間という猛勉強を経て、第1志望の早稲田には落ちたものの、かろうじて筑波大学に入学する。

サークルにバイトに遊びに明け暮れ、毎日ほぼ寝ずに活動し続けていたら4年間が終わっていた。まだまだ遊び学び足りなかったので大学院に進学したものの、気づいたら2年間が終わっていた。

その後、サークルの先輩だった岡ちゃん(岡本)が役員を務める塾に入社し、塾長やら広告作成やらプログラミングやらに励む。授業をして、成績を上げ、志望校に合格させ…でも本当にこれが俺のやりたかったことなのか、みんなはこれで幸せになれているのかという疑問が浮かび始める。そして紆余曲折しながら、辿り着いたのがUTUWA。俺が本当にやりたかった教育を実現できる場所。